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アンネ・フランクの隠れ家

アムステルダムに来たら一度は訪れてみたいスポットのひとつ「アンネ・フランクの家」…
『アンネの日記』の作者として知られる少女、アンネ・フランクとその家族が第二次世界大戦中に隠れ家として使っていた家がミュージアムとして一般公開されています。

アムステルダムのプリンセン運河にある隠れ家だった建物

アムステルダムのプリンセン運河にある隠れ家だった建物

フランク一家が隠れていた建物は当時の様子をそのまま残しています。隠れ家への隠し扉もそのまま。とても小さな隠れ家に驚きます。

 

隠れ家に通じる入口を隠した回転式の本棚も残っている

隠れ家に通じる入口を隠した回転式の本棚

アンネの日記の原本は現在ユネスコの記憶遺産となっていますが、「アンネ・フランクの家」ミュージアムには数冊のノートと一緒に日記の原本も展示されています。

アムステルダム アンネの家 本 世界遺産 オランダ

Photo Cris Toala Olivares

アンネの日記
ドイツ生まれのユダヤ人アンネ・フランクは、ドイツ軍がオランダ占領中に隠れ住んだ家でつづった日記を残しました。この日記は、第二次世界大戦中に苦難を受けたユダヤ人をはじめ、戦争によって犠牲となる罪のない人々の象徴として世界の人々に感銘を与え、いまも読み継がれています。

アンネはアムステルダムの家に隠れていた2年間の隠れ家での生活を日記に書き残しました。平和であれば、普通の女の子であったであろうアンネが、その瑞々しい感性で思春期を克明に描いた日記は人々に感動を与えます。

アンネ・フランク

1942年6月12日、13歳の誕生日にアンネはサイン帳をもらいました。誕生日からまもなく、7月6日にフランク一家は、プリンセン運河263 番地(現在「アンネ・フランクの家」ミュージアムがある場所)にある隠れ家に移り住むこととなります。アンネはサイン帳を日記として使い、隠れ家での日々、人生、夢について記録をはじめました。

1944年初頭、アンネはラジオでオランダの文部大臣の話を聴きました。大臣は、オランダの人々が占領中に被った苦難を覚えておけるように、その経験を記録してほしいと伝えました。この話に刺激を受けたアンネは、戦争が終わったら出版できるよう、日記の編集を始めました。

最後に綴った日記は、1944年8月1日のものでした。その数日前、アンネの家族や隠れ家で一緒に暮らしていた人々は密告され、間もなく強制収容所に送られました。強制収容所に送られた人々のうち、戦争を生き延びたのはアンネの父親、オットー・フランクただ一人。
戦後、オットーは娘の夢の実現のため日記の出版に尽力します。原本と推敲版の2つの日記を使用して、Cテキストとして知られる版を編纂し、1947年「隠れ家(Het Achterhuis)」というタイトルでアンネの日記は出版されました。

アンネ・フランクの家
公式HP(英語)http://www.annefrank.org/en/
チケット販売(英語)http://www.annefrank.org/en/Museum/Practical-information/Online-ticket-sales/
※2017年10月16日より館内での工事の影響で、入場が制限されています。訪問は事前予約のみ可。上記ミュージアムのウェブサイト(英語)で事前にチケットを購入する必要があります。チケットは訪問日の2か月前より発売されます。
住所:Prinsengracht 267, Amsterdam

アンネも鐘の音を聴いていた西教会の広場にある「アンネ像」

アンネも聴いていた鐘楼のある西教会前の「アンネ像」

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